ブロンド

ブロンドは、太陽光線をおもい出させる色です。


ブロンドの髭がもてはやされるようになったのには、そういった、各種族の、無意識の偏見が働いているのでしょう。


そういうわけで、ギリシャ・ローマの時代以来、髪の毛をブロンドに染めるための、数々の方法が知られており、そのなかには、往々にして、危険をともなう方法もあった。


また、この、髪を染める、ムダ毛を脱毛する問題の一つの解決として、かつらという方法が、いくどか周期的に採川されました。


17世記、またとくに18世紀には、頭に粉をかけることも、おこなわれました。


これもまた、この問題の一つの解決方法でした。


現代のカラー・リンスも、この、おなじ女性の野望にこたえているわけです。

お化粧、スキンケア

お化粧、スキンケアや脱毛も、おなじようにエジプトにおいては知られていました。


けれども、この習恨が異常に発達したのは、20世紀にはいってからのことです。


また髪の毛は、髪の毛の詩人といわれたボードレールに先だつたくさんの詩人たちを夢中にさせました。


そして、このことは、最近ソルボンヌ大学で《優》をもらった博士論文以前にも、多くの学究の注目と考察の対象となっています。


髪を染める問題は、ひじょうにはやくからおこっていました。


なぜなら、白然には、ブロンドの髪は褐色の髪よりも少ないのに、色白の顔には、ブロンドの方が自然であると、ほとんどどの時代にもおもわれていたからです。

紅やおしろい

ほとんどいつの時代でも、肌の手入れ、脱毛ということがもっとも大事で、紅・おしろいは、それを補うものとみなされていました。


お化粧は、顔、の欠点をかくしたり、特徴をきわだたせたりするものだったのです。


エジプト人は、眼のお化粧が、顔、にどんな効果をもたらすかということを、知りつくしていました。


その後は、長い時代にわたって、眼は、自然のままに保たれることになるが、今旧になってまた、女性たちは、このエジプト婦人たちの方法にしたがっているのです。

白い肌

白い肌、脱毛している女性というものは、このように、家にじっとしているということをあらわしているのであって、それはつまり、古代世界全体の風習にも、キリスト教社会の風習にもかなっていることなのです。


こうした女性は、男性の力とくらべて、じぶんの弱々しい姿を大事に守っているのだということをきわだたせている、女性というものがもっている補助的な役割というものを、強調しているのです。


エジプトの壁画から、18世紀ロココのブーシェのアレゴリーにいたるまで、あらゆる時代の画家たちが、ブロンズ色の93性と、真殊色の女性との対照を,強調しているということは、けっして偶然ではありません。

美学的な面からみた歴史的発達

趣味のなかには、いくらか変らない点がみいだされます。


わたしたち白人の女性たちは、ほとんどいつの時代にも、ごく最近になるまでは、できるかぎり白い皮膚、脱毛された肌をもつことを夢みてきました。


百合のような肌の色、乳のような白い色、というのが、何千年かのあいだ、恋に悩む詩人たちの熱狂的な讃めことばのなかに、いちばんよくでてきた形容詞です。


今口では、人々は、太陽に黄金色にやかれて海水浴をしている女性たちを見ながら、貧血したように蒼白いロマン派時代の女主人公ならば、恐怖でありスキャンダルであったにちがいないようなことも、べつになんともおもっていない。

中世初期

中世初期については、そういう資料が、なおさら少ないそうです。


そうした資料は、古い時代のことになればなるほど、かえって多い。


17世紀になって、とくべつの広告文というものがうまれてきたこと、そしてまた、15世紀以後は、肖像画の数がふえたことのおかげで、たくさんの正確な情報が得られるようになっています。


けれども、このように、特殊な専門的な対象だけではなく、風俗と趣味の歴史、また経済と道徳の歴史にもふれているような、複雑な問題のあらゆる様相を詳細につかむためには、あらゆる時代にわたって、つねに存在しているとはかぎらない、さまざまな史料に、たすけられなければならないであろう。


つまり、ある時代についてなにも証拠がないということは、特記すべきことがなにもなかったということの、絶対的な証明とみなすことはできないわけです。


また、美容、つまりスキンケアや脱毛の重要な発展について、その正確な口付けを決定することがむずかしいのは、しばしば、こうした資料の欠けていることからきているのです。

美容は経済生活の進歩とともに

美容は、ひまと金のある貴族的な階級、つまり、飢えが人々の不安でない人たちだけのためにあるものでした。


それが、経済生活の進歩とともに、はじめは、高貴な人たちにかぎられていた紅・おしろいや香水の使川が、だんだんに、大ブルジョワ階級の心をとらえてくるのです。


こうした大ブルジョワ階級は、東方貿易、ついでは新大陸につながる海洋貿易によって、豊かになりました。


古代世堤では地中海の沿岸地方にかぎられていた、美容関係の品の貿易が、ルネッサンス時代になるとともに新しい重要性をもってきたことは、まちがいのないじじつです。


にもかかわらず、そうしたスキンケア化粧品や脱毛剤の使用は、あいかわらず、裕福な特権階級か、でなければ、仕事のうえでぜひ使わなければならない、たとえば俳優のような、ごく少数の人々だけのことでした。

美顔料の処方

中世の薬の書物は、とても実行できないような、こういった美顔料の処方でみちみちています。


なぜなら、そこに書いてある材料は、ほとんど空想の世界のものだからです。


じっさいの権威ではなくて、信じさせることが問題なのです。


こういった信じさせるという要素は、美容では本質的なことで、現代でも、消えてなくなるどころか、化粧品の広告に、しばしば見うけられます。


それは、魔法の要素なのであって、これが、女性の感受性に訴えるのです。


なぜならば、女性の感受性は、顔というものは、奇蹟によってしか変えることができないということを、よく知っているからです。


女性は、自分が使っているスキンケア化粧品や脱毛剤の実際の成分を、けっしてそれほど気にしていません。


今日でも、中世とおなじ、その伝説的な魅力というものにひかれているのです。


あいもかわらず、まことしやかな貼紙をつけて売られているもっともらしい化粧品のなかで、一角獣の角や鯨蝋が重要な役割を演じていることは、けっきょく、今も背もおなじであるということができるでしょう。

じっさいの証拠

直接じっさいの証拠になってくれるものといえば、わたしたちが、街で毎日みかけることができるもの以外には、絶対にない。


それはまた当然のことでもある。


当時のお化粧、ムダ毛の脱毛というものについて、なんらかの観念をもつことができるのは、すべて、芸術作品、とくに、絵画をとおしてでしかない。


ところで、よく知られているように、古代絵画は、エジプトやエトルリヤの壁画と、ポンペイの装飾画のほかは、なくなってしまっています。


たくさんの文献が、エジプトやローマの美顔料の処方を保存してくれているが、それが、じっさいには、どのくらいの比重で役だてられていたかということを知るのは、不可能だそうです。

実は・・・

美容については、その発達を歴史的に話すということはむずかしい、なぜなら、そこには、じっさいの連続性というものが、ほとんどないからです。


スキンケアや脱毛のの流行とか趣味とかが問題であるばあいは、突然の変化というものを、つねに予想しなければなりません。


それは、経済的・祉会的因子だけできまるのではないのです。


気まぐれというものが、その、論理的でない展開に干渉してくるからです。


また一方、美容というものの、真に完全な歴兜を物語ろうとすれば、あらゆる時代にわたる、連続した史料というものをもっていなければならないことになります。


ところが、そうしたことを知るための資料は、ほかの多くの研究の分野でよりも、ずっと、極端に断片的なのです。